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高校野球歴史|全国中等学校優勝野球大会の時代
2015年8月、高校野球の歴史が、100年を迎えた。
100年だからと言っても、戦争による中断時期があったため、
夏の大会は97回、センバツ大会は、それよりちょうど10回少ない、87回である。
3年後の100回大会は、記念大会として、特別なセレモニーなど、
例年にも増して、華やかな大会になることだろう。
そもそも、全国大会が始まったのが、100年前というだけで、
高校野球(当時は中学野球)は、早い地域では、1880年代には行われていた。
校内で紅白戦を行うところから、他校と試合を行うようになり、
各地で近県の中学が集まり、地区大会が開催される様になったのは、
20世紀に入った頃のことである。
全国大会が開催される様になった経緯は、諸説あり、はっきりしていない。
定説となっているのは、旧制三校(現・京大)が開催していた、
中学野球大会を母体に、朝日新聞が主催者となって、開催したというものである。
現在まで、関西で甲子園大会が開催されているのは、
そうした歴史によるものである。
第1回大会は、予選参加が73校で、代表に選ばれたのは、10校。
場所は、甲子園球場ではなく、大阪・豊中のグラウンドだった。
そもそも、甲子園球場は、まだできてもいなかった。
甲子園球場が完成し、大会初の試合が行われたのは、1924年夏のことである。
当初は、大会のシステムも整っておらず、
敗者復活戦が行われた大会もあれば、
前年に、大学で登板していた投手が中学代表として出場するなど、
現在では、考えられないことも起きている。
牧歌的な時代と言ってしまえばそれまでだが、
当初は、その程度のものだったのである。